日本ヘアカラー工業会のあゆみ
酸化染毛剤業界のあゆみ(前史)
明治後期より始まった近代的な「酸化染毛剤」は、第一次世界大戦、第二次世界大戦/太平洋戦争によって、その原料成分の輸入が困難になり、昭和初期には業界全体で一致した活動が求められるようになりました。
昭和13年4月に制定施行された国家総動員法によって、1.染毛剤への10%物品税課税、2.原料成分の配給統制、3.同業組合の結成と強制的加入といった染毛剤の製造販売業者としては、困難な施策が次々と実施されていきました。
昭和16年に入ると、国家総動員法に対応した工業組合としての設立準備が進められ、翌17年2月に「日本染毛剤工業組合」が法人設置認可を受けた。国家総動員法や商工統制組合法によって強制的に組織された同業組合・統制組合は、昭和20年の敗戦によってその存在意義を失い、昭和21年4月以降、名称変更や解散、再出発が行われました。
統制組合「医療外部品統制組合」は昭和22年に解散し、直ちに「日本染毛剤工業会」に改組されました。この組織は、当時依然として入手困難であった染毛剤原料を工業会会員に分配していましたが、その行為は、新たに制定された事業者団体法に抵触する可能性があったため、わずか2年後の昭和24年に一旦解散して、「染毛剤懇話会」として再組織することになりました。
昭和28年、当時の厚生省は、薬務局長通知(昭和28年2月28日付薬発第76号)を発出し、染毛剤は「医薬品」として扱われることになりました。
新たに薬事法(昭和35年法律第145号、現行薬事法)が昭和35年8月10日に公布され、翌昭和36年2月1日から関係政省令とともに施行されました。この新薬事法制定前後に行った染毛剤懇話会等の業界からの陳情が実を結び、染毛剤は、新薬事法の医薬部外品に指定(昭和36年11月1日付厚生省告示第378号)されました。
草創期・黎明期 昭和35年~昭和63年
田尾有海(アリミノ化学、現アリミノ)会長時代
田尾有海氏は、現行薬事法の具体的な内容が議論されていた昭和34、5年頃、美容業界団体として、染毛剤メーカーの集まりの必要性を強く感じ、「日本ヘヤダイ工業会」の設立を以前からの仲間に呼びかけ、昭和35年10月3日に銀座セフテイ商会で、同工業会設立総会を挙行しました。日本ヘアダイ工業会は、業界を挙げてのヘアカラー普及活動にも取り組み、理美容業界団体活動への協賛・共同キャンペーン、ヘアカラーコンテスト、流行色の選定と提案などの事業を行っていました。
山本清雄(山発産業、現ヘンケルジャパン)会長時代
昭和45年、ある新聞が「ヘアカラーの安全性」を記事として取り上げ、社会的な関心を集めることとなりました。これを受け、日本ヘアダイ工業会は、ヘアカラーの「原料規格」や「パッチテスト」等の安全関連事項について検討を行うとともに、消費者を対象にした「使用上の注意事項」を作成すべく取り組みを始め、その成果が昭和45年4月21日付薬発第376号厚生省薬務局長通知「染毛剤使用上の注意事項」として結実しました。
昭和50年には、Amesの論文をきっかけとした、業界の存立基盤を揺るがせかねない安全性上の懸念が明らかとなり、日本国内だけではなく、欧米諸国の染毛剤メーカーとの安全性に関する情報交換が始まりました。
発展期・進展期 平成元年~平成25年
水野金平(ホーユー)会長時代
日本国内でPL法が施行されるにあたり、消費者への啓発強化を目的として、ヘアカラーに関する冊子の発刊やHPの開設を行い、また、消費者への注意喚起を強化するため、様々な自主基準を制定しています。引き続き、欧米諸国の染毛剤メーカーとともに、安全性に関する調査研究や協議を行い、平成15年には横浜で国際会議を開催するに至りました。
平成14年には会長会社内にあった事務局を東京に移して独立した事務所として開所しました。さらに、工業会の裾野を広げるため、新たに賛助会員制度を導入しました。
水野新平(ホーユー)会長時代
工業会では27年間愛知医科大学と共同で「愛知県の理容師集団におけるがん死亡」について疫学調査研究成果を論文にし、「染毛剤とガンとの関連性についての疫学調査が行われていますが、各種ガンとの関連性は全く認められていません。」というヘアカラーの安全性に関する見解をまとめました。
ヘアカラーのかぶれ防止啓発の強化として、製品個装箱へ記載可能な「パッチテスト啓発マーク」導入の推進を行ったり、「ヘアカラーリングABC」を改訂したりしました。さらに、ヘアカラーの情報をわかりやすく伝えるために、HP改訂作業に着手いたしました。
平成23年 6月、グランドプリンスホテル高輪にて50周年式典を挙行いたしました。
転換期 平成25年~
水野真紀夫氏(ホーユー)の会長就任前後からJHCIAでは、安全性への取り組みをより活性化させていました。平成27年10月、消費者安全調査委員会から「毛染めによる皮膚障害」について報告書が公表され、その活動はさらに加速しました。多くの施策を実施するために工業会内の組織体制を再整備し、また、外部団体とも協働しています。
日本ヘアカラー工業会年表
昭和13年
日本染毛剤工業組合設立総会
・発起人総代:山本吉太郎(君が代)
・発起人:宅間千吉(黒胡蝶)、山本発次郎(るり羽)、長尾真一郎(万両)、水野増次郎(元禄)
昭和16年
組合員の昭和13~15年の平均生産量調査を実施し、パラフェニレンジアミン国家配給
昭和17年
日本染毛剤工業組合 設立許可
昭和19年
同工業組合 解散(統制組合法に基づく組合組織改組に伴う措置)
昭和22年
医薬部外品統制組合を解散し、日本染毛剤工業会に改組(商工業協同組合法施行への対応)
昭和23年
日本国憲法の制定に伴って、薬事法制定
昭和24年
日本染毛剤工業会を解散し、染毛剤懇話会を再組織(平成20年解散)
昭和28年
染毛剤が「医薬品」に指定
昭和36年
染毛剤懇話会等の業界からの陳情し、染毛剤は「医薬部外品」に指定
昭和35年
日本ヘヤダイ工業会設立 田尾有海氏(アリミノ化学)会長就任
会員数8社 アリミノ化学、パオン本舗、イソ科研、クラウン産業、セフテイ商会、フタバ化学、日本製薬販売、TVZ工業
昭和36年
日本ヘアダイ工業会設立
当時は「ヘヤ」と「ヘア」の混在表記が「ヘア」に集約されつつあるのに鑑み、工業会名称を「日本ヘアダイ工業会」に変更
昭和43年
山本清雄氏(山発産業)会長就任
昭和44年に至って、規格や基準などの染毛剤業界全体に関わる課題を広く議論するために、入会条件を変更し、昭和44年11月から一般用染毛剤メーカーも加盟が可能となる。
昭和45年
「日本ヘアカラー工業会」へ改称、技術委員会設置
昭和45年
局長通知「染毛剤の使用上の注意事項」発出(使用上の注意自主基準のもと)
昭和49年
染毛剤原料規格を発刊
昭和50年
情報委員会、PR委員会設置(昭和50年には、Amesの論文への対応)
昭和53年
染毛剤製造承認申請要領を発刊
昭和62年
水野金平氏(ホーユー)会長就任
平成6年
「使用上の注意」、「外箱も表示する注意事項」自主基準制定
平成6年
「ヘアカラーリングABC」を発行(一般向け)
平成11年
「染毛剤広告の広告・表示に関する自主基準」制定
平成12年
運営協議会設置
平成13年
「ヘアカラーリング剤について」を発行(専門家向け)
平成13年
化粧品への規制緩和を受け、「染毛料に配合する色素自主基準」制定
平成14年
「日本ヘアカラー工業会ホームページ」開設
平成15年
賛助会員制度導入
平成15年
第1回ヘアカラー国際会議開催
平成16年
事務局を名古屋から東京・堀留町へ移転
平成18年
「広告に記載する注意事項」自主基準制定
平成21年
水野新平氏(ホーユー)会長就任
平成25年
水野真紀夫氏(ホーユー)会長就任
平成27年
安全性委員会設置(安全対策の強化)
平成28年
事務局を東京・人形町へ移転
平成29年
理美容師向け「ヘアカラーリングハンドブック」発刊
令和元年
理美容師啓発委員会設置
令和5年
田尾大介氏(アリミノ)会長就任